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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)5936号 判決

原告

飛鳥井廣

飛鳥井美代子

右両名訴訟代理人

菊池武

小泉征一郎

被告

学校法人東京女子醫科大学

右代表者理事

吉岡博人

右訴訟代理人

松井宣

小川修

松井るり子

奈良ルネ

小川まゆみ

主文

一  被告は、原告飛鳥井廣に対し、金六七五万一七六四円、原告飛鳥井美代子に対し、金七一一万五六五八円及び右各金員に対する昭和五五年六月一四日から各支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

ただし、被告が原告各自に対し各金三〇〇万円の担保を供するときは、その原告からする右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告らに対し、各金三七二八万〇八五四円及びこれに対する昭和五五年六月一四日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  (当事者)

(一) 原告飛鳥井廣は、亡飛鳥井信幸(以下「信幸」という。)の父であり、原告飛鳥井美代子は、信幸の母である。

(二) 被告は、肩書地において総合病院である東京女子醫科大学病院(以下「被告病院」という。)を経営しているものである。〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1(当事者)の事実は、当事者間に争いがない。

二信幸の死亡に至る経過

〈証拠〉によれば、次の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

1  信幸は、昭和四七年一一月六日午前二時ないし三時ころ腹痛を訴え、午前八時ころ阿部医院において井出医師から急性虫垂炎との診断を受けた。

そこで井出医師は、同日午前一〇時一九分ころ、信幸に対し、麻酔薬ベルカミンS1.8CCを腰椎注射した後、午前一〇時三六分から同一一時一五分までの間に、信幸に対し、交さく切開による虫垂切除手術を施し、右手術は順調に終了し、虫垂炎の術後の経過は良好だつた。

しかし、井出医師は右腰椎注射の際、自らの或いは補助者の手指、使用する注射器具、注射部位のいずれかの消毒または滅菌を完全に行わなかつたため、緑膿菌を信幸の髄腔内に侵入せしめてしまつた。(腰椎注射の際の消毒不完全のため緑膿菌が信幸の髄腔内に侵入したことは当事者間に争いがない。)

2  右手術終了後約一時間経過したころから、信幸は悪感、頭痛を訴え始め、翌七日には激しい頭痛と高熱(三九度)があつたため、井出医師は、信幸に対し、解熱鎮痛剤メチロン等を注射した。

八日に至つても、信幸の激しい頭痛と高熱は軽快しなかつたので、井出医師は感染性の髄膜炎の疑いを持ち、副腎皮質ステロイド剤であるデカドロン二mgを注射したところ、一旦解熱の傾向を示したが、一〇日には再び体温が上昇し、井出医師はこの間クロマイを注射するなどして症状を観察した。

一一日至り、井出医師は、信幸の激しい頭痛と高熱(39.4度)に加えて、ケルニッヒ症状その他の病的反射、項部強直の発現を確認したので、髄膜炎の疑いを強く抱いたが、原因菌が不明であるため、抗生物質セファメジン0.5gを筋肉注射し、デカドロン二mgを二回投与した。

一二日午前一一時三〇分、井出医師は、腰椎穿刺による信幸の髄液を検査したところ、髄液の軽度混濁を認めたため、髄膜炎であることを確認し、抗生物質セファメジン二gを筋肉注射し、リンコシン0.6gを二回点滴静注するとともにデカドロン一二mgを三回投与したところ、発熱等の症状は一時的に改善した。

翌一三日、井出医師は、右髄液を練馬区医師会医療検査センターに送付して検査を依頼したところ、同センターにおける髄液培養の結果、グラム陰性桿菌の存在が発見され、細胞数は二三八〇である旨の通知を受けた。同日もセファメジン二gを筋肉注射し、リンコシン0.6gを二回点滴静注するとともに、デカドロン四mg、八mg各一回投与したが、頭痛は再び激しくなり、体温も39.7度と再上昇した。

3  翌一四日午前一一時五〇分ころ、井出医師は、信幸の病歴書に右髄液検査の報告書を添付して被告の小山千代教授宛信幸の今後の加療方を依頼し、同人を被告病院に転院させようとしたところ、信幸が阿部医院を出発する直前に前記医療センターから信幸の髄液中のグラム陰性桿菌は緑膿菌らしい旨の電話連絡を受けたので、右病歴書及び報告書に、緑膿菌らしい旨のメモ書を更に添付して信幸を被告病院に転院させた。(信幸が被告病院に転院したことは当事者間に争いがない。)

4  信幸は、被告病院に同日昼ころ入院し、三神内科教室の長田智香医師(以下「長田医師」という。)が信幸の担当医となつた。信幸は、被告病院入院後も頭痛が激しく、高熱(39.5度)があつたので、長田医師は鎮痛剤ボンドール一錠、バッファリン二錠を投与し、Cノブロン一Aを筋肉注射したほか、阿部医院において投与していたものと同じケフリン二g、クロマイ二g、デカドロン八mgを投与した。この日の信幸の症状は、項部強直及びケルニッヒ症状が認められた。

5  一五日午前一〇時ころ、長田医師は、腰椎穿刺により信幸の髄液を採取したところ、その髄液は白濁しており白い浮遊物がみられ、初圧二六〇ミリ水柱、終圧一七〇ミリ水柱、比重一〇一二、細胞数四九八四、ノンネ・アペルト極めて大、バンディー極めて大であるとの結果が出た。同日も頭痛が依然として強かつたため、頭痛に対する鎮痛剤のほか、ケフリン二g、クロマイ二g、デカドロン一六mgを投与した。

6  一六日、右髄液から緑膿菌が検出され、引き続き培養し耐性結果を待つことになつたため、ケフリンを中止し、クロマイ一g、デカドロン一二mgを投与したほか、ゲンタマイシン四〇mgを筋肉注射により投与した。

7  一七日、クロマイ二g、デカドロン一二mg、ゲンタマイシン八〇mgが投与された。同日も頭痛が激しく項部強直も著明であつたが、知覚は正常であつた。

8  一八日、クロマイを中止し、デカドロン八mg、ゲンタマイシン八〇mgにカルベニシリン一gを追加して投与された。

9  九日、デカドロン八mg、ゲンタマイシン八〇mg、カルベニシリン一gを投与した。

10  二〇日に至り、長田医師が退職したため、信幸の担当医は阿部澄子医師(以下「阿部医師」という。)に交替し、申し送り事項として信幸の髄液から緑膿菌が発見されたこと、阿部医院におけるデカドロン大量投与のためステロイド糖尿病を伴発したこと等の経過報告並びに井出医師から小山教授宛の前記書面等を参照されたい旨を伝えられた。阿部医師は前日と同じ抗生剤等を投与した。同日も項部強直がみられたものの、以前より軽く、ケルニッヒ症状はみられなかつた。

11  二一日、信幸は昏睡状態になり、被告の三神教授が信幸を来診し、阿部医師に対し、腰椎穿刺と再度の髄液検査を指示したので、阿部医師は腰椎穿刺を試みたが、奏効しなかつた。同日デカドロン六mg、ゲンタマイシン八〇mg、カルベニシリン二gを投与した。

12  二二日、信幸は昏睡状態に陥り、デカドロン四mg、ゲンタマイシン八〇mg、カルベニシリン一gにコリスチン二〇〇万単位を加えて投与した。

13  二三日、信幸に薬疹があらわれたのでゲンタマイシンを中止し、デカドロン四mg、カルベニシリン二g、コリスチン四〇〇万単位を投与した。

14  二四日、信幸の意識は清明になつて来た。カルベニシリンを中止し、デカドロン四mg、コリスチン四〇〇万単位を投与した。

15  二五日一一時三〇分ころ、信幸に対し腰椎穿刺を施用しようとしたが、髄液の採取はできなかつた。同日もデカドロン四mg、コリスチン四〇〇万単位を投与した。

16  二六日一一時四〇分ころ、被告病院の大森医師が信幸に対し腰椎穿刺を施用しようとしたが、不能であつた。信幸は半昏睡状態に陥り、デカドロン四mg、コリスチン四〇〇万単位を投与した。

17  二七日午前三時五〇分、信幸は急性脳脊髄膜炎で死亡するに至つた。(この事実は当事者間に争いがない。)

三債務不履行の有無

1  請求原因3(一)(本件診療契約)の事実は、当事者間に争いがない。

2  抗弁1(不可抗力)の事実について

被告は、信幸が被告病院入院時既に治癒の見込みがないほど重篤であり、信幸の死亡は不可抗力であつた旨を主張するが、本件全証拠によるも右主張事実を認めるに足りない。

かえつて、〈証拠〉によれば、いずれも項部強直・ケルニッヒ症状が著明に認められる緑膿菌性髄膜炎患者であつて、その髄液混濁、初圧二二〇ミリ水柱、終圧一二〇ミリ水柱、細胞数六四〇、髄液淡白濁、初圧五五〇ミリ水柱、細胞数三七〇〇、髄液乳白濁、初圧三〇〇ミリ水柱、終圧二三〇ミリ水柱、細胞数九〇〇〇、髄液淡灰白色、初圧五五〇ミリ水柱、細胞数六四〇〇、髄液白色混濁、初圧二四〇ミリ水柱、細胞数二八〇〇、髄液緑黄色混濁、初圧六一〇ミリ水柱、細胞数三二〇〇、髄液混濁、淡青緑色の螢光を放ち、初圧二七〇ミリ水柱、細胞数四四六三、髄液混濁、初圧五〇〇ミリ水柱、終圧二五〇ミリ水柱、細胞数七四〇〇の各症例についていずれも治癒した例があること、緑膿菌性髄膜炎の患者の栄養状態が可良な場合は完治も困難ではないことが認められ、以上の事実に前記二認定の信幸が被告病院に入院した時、項部強直・ケルニッヒ症状が出現しており、入院前の一一月一二日に採取した髄液は軽度混濁で細胞数が二三八〇であつたのに対し、入院翌日の一一月一五日に採取した髄液は白濁し、白い浮遊物を認め、細胞数が四九八四であり、かつ、初圧二六〇ミリ水柱、終圧一七〇ミリ水柱であつた事実を併考すれば、信幸は被告病院に入院した当時、治癒の蓋然性が高かつたものと認めるのが相当である。(なお、鑑定人松本慶蔵の鑑定の結果中には、信幸の治癒の見込が乏しい旨の記載所見があるものの、該記載所見は、信幸が被告病院に入院した時点について謂うものではなく、入院後の化学療法等の施用の当否及び時期等をも考慮に入れ、一一月一五日以降の時点について謂うものと認められるから該記載所見をもつて信幸の死亡が不可抗力によるものと解することはできない。)

3  抗生物質の髄腔内投与に関する被告の過失について(請求原因3(二)、抗弁2)

(一)  〈証拠〉によれば、次の事実が認められる。

(1) 緑膿菌に対して有効な抗生物質は、昭和四七年当時、アミノ配糖体系のゲンタマイシン、ポリエン系のポリミキシンB及びコリスチン、ペニシリン系のカルベニシリンであつて、その抗菌力の有効度は、順次にゲンタマイシン、ポリミキシンB、コリスチン、カルベニシリンであり、その安全度は、順次にカルベニシリン、ゲンタマイシン、ポリミキシンB、コリスチンである。

(2) 緑膿菌による髄膜炎の治療法の基本は、早期発見・早期治療であつて、右の抗生物質を全身投与もしくは、その髄液移行性が悪いとき髄腔内投与をすることである。

(3) 昭和四七年当時において、次のとおり、抗生物質の髄腔内投与の方法による治癒事例が報告されていた。

(ア) 昭和一九年四月発行の「臨床と研究」第二一巻第四号中の医学博士竹崎鼎輔「新生児緑膿菌性脳膜炎の一治験例」には、同博士が、緑膿菌性髄膜炎の新生児に対し、計一〇回にわたり脳室穿刺を行い、髄液を排出したうえ、トリアノン溶液を注入した結果、治癒したとの事例報告と、脳室穿刺が大いに推奨に価する一治療方法である旨の知見の記載がある。

(イ) 昭和二七年九月発行の「児科診療」第一五巻第九号中の医師川崎富作外一名「緑膿菌性髄膜炎の一治験例」には、同医師らが、敗血症が同時に存在した緑膿菌性髄膜炎の患者に対し、コリスチンを髄腔内に投与し、一旦軽快したのでコリスチンの髄腔内投与を一時中止し、筋注のみにとどめたところ、病状が悪化したため、コリシチンの髄腔内注入を一日二回大量に投与したところ、三日目に緑膿菌が陰性となり、完治したとの事例報告の記載がある。

(ウ) 昭和三〇年八月発行の「臨床内科小児科」第一〇巻第八号中の医師古川幸慶「興味ある経過をとり治癒した緑膿菌脳膜炎の一例」には、同医師が緑膿菌性化膿性脳脊髄膜炎の患者に対し、抗生物質の経口ないし筋肉内注射では効果が認められないため、ホモスルファミン及びストレプトマイシンの髄腔内投与を行つたが、やはり効果なく、最後にポリミキシンBを一日あたり四〇mg、五日間にわたつて髄腔内に大量注入したところ、著効を得て治癒したとの事例紹介並びにストレプトマイシン、ペニシリン等が無効な緑膿菌性髄膜炎患者に対し、ポリミキシンを髄腔内に二回投与、以後筋肉に投与して全治したとの事例、脳膜炎でペニシリン、ストレプトマイシンが無効でクロラムフェニコールの経口投与でも全身状態が改善されないため、クロラムフェニコールを二回にわたり髄腔内に注入したところ、劇的効果があつたとの事例等の引用記載がある。

(エ) 昭和三〇年一二月発行の「日本外科学会雑誌」第五六巻第九号中の「第五四二回外科集談会」には、医師清水健太郎が緑膿菌性髄膜炎患者に対し、ポリミキシンBを筋注及び髄腔内注入の方法で投与して劇的な効果をあげたとの報告記載がある。

(オ) 昭和三四年五月発行の「内科」第三巻第五号中の医師深谷一太他三名「緑膿菌による髄膜炎の一例」には、同医師らが、緑膿菌性髄膜炎患者に対し、ポリミキシンBを髄腔内に投与したところ一回で直ちに緑膿菌が陰性となり、その後髄腔内注入と筋注を併用して治癒せしめたとの事例報告の記載がある。

(カ) 昭和三四年七月発行の「内科」第四巻第一号中の医師国井乙彦他六名「緑膿菌性化膿性髄膜炎の一症例」には、同医師らが、緑膿菌性化膿性髄膜炎患者に対し、他の抗生物質の筋注では効果がなかつたが、ポリミキシンBの髄腔内注入と筋注の併用により著効を認め、治癒したとの事例紹介の記載がある。

(キ) 昭和三六年一一月発行の「治療」第四三巻第一一号中の医師荒井奥弘他三名「緑膿菌性髄膜炎の三例」には、同医師らが緑膿菌性髄膜炎の患者に対し、コリスチンの筋注を行うも効果がなく、ポリミキシンBの髄腔内注入を計四回行つて劇的効果がみられ、治癒したとの事例報告の記載がある。

(ク) 昭和四一年一〇月発行の「内科」第一八巻第五号中の医師池本秀雄他一名「緑膿菌髄膜炎」には、同師らが、緑膿菌性髄膜炎の患者に対し、クロラムフェニコル・サクシネートの筋注と髄腔内注入を行つたが、緑膿菌が消失しなかつたので、ポリミキシンBを髄腔内注入及び筋注の方法で投与したところ、完治したとの事例報告と、ポリミキシンBの髄腔内注入にによつて外国の報告では二一例中一八例が治癒し、日本では九例中八例が治癒したとして緑膿菌性髄膜炎の治療方法として右髄腔内投与を除外しては考えられない旨の知見の記載がある。

(ケ) 昭和四五年三月七日東京において開催された第四回緑膿菌研究会において、医師池本秀雄他五名が「緑膿菌敗血症並びに髄膜炎について」と題するシンポジウムにおいて、緑膿菌性髄膜炎患者が、ポリミキシンBの髄腔内注入によつて完治したとの事例二例を報告した。

(コ) 昭和四六年六月発行の「モダンメディア」第一七巻第六号中の医師池本秀雄「緑膿菌感染症と化学療法」には、同医師が、前記(ケ)と同例二例の報告と緑膿菌性髄膜炎に対しては、抗生剤の髄腔内注入が多く行われ、しばしば劇的に奏効する旨の知見の記載がある。

(サ) 以上記載の各書籍は、いずれも相当部数を発行し、かつ、多くは多数読者を擁する定期刊行物である。

(二)  また、〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

(1) 緑膿菌に対して有効なゲンタマイシンには、悪心、嘔吐、前庭機能障害、聴神経障害、肝機能障害、黄疸、腎機能障害等の副作用があり、ポリミキシンBには、腎機能障害、発熱、頭痛、過敏症、悪心、嘔吐等の副作用があり、コリスチンには、腎機能障害、神経障害等の副作用があり、カルベニシリンには、ショック症状、アレルギー症状の副作用があり、とりわけ、ポリミキシンBの髄腔内注入の場合には、局所刺激作用として発熱、下肢、腰部の激痛等の副作用がみられ、コリスチンの髄腔内投与の場合には、発熱、呼吸障害等を生じる。

(2) 他方、昭和四七年までに、次のとおり、緑膿菌性髄膜炎を抗生剤の髄腔内投与以外の方法で治癒せしめた事例が報告されていた。

(ア) 前掲「日本外科学会雑誌」第五六巻第九号中の「第五四二回外科集談会」には、医師三河内薫丸が緑膿菌性髄膜炎患者に対し、クロマイとコリスチンの全身投与により治癒したとの事例報告の記載がある。

(イ) 昭和四二年一一月発行の「小児科臨床」第二〇巻第一一号中の医師家坂升他二名「緑膿菌髄膜炎の二例」には、同医師らが、緑膿菌性髄膜炎患者に対し、カナマイシンの筋注とコリスチンの内服により治癒せしめたとの症例二例の報告の記載がある。

(ウ) 前記第四回緑膿菌研究会において、医師田中英他二名は、緑膿菌性髄膜炎患者に対しゲンタマイシンの筋注により治癒せしめたとの症例報告をした。

(エ) 昭和四五年五月発行の「診断と治療」第五八巻第五号中の医師大沢温臣他三名「緑膿菌髄膜炎の一例」には、同医師らが、緑膿菌性髄膜炎の患者に対し、コリスチンとゲンタマイシンを筋注したが効果がなかつたため、カルベニシリンの筋注により治癒せしめたとの事例報告の記載がある。

(三) 以上認定の事実に基づき、被告の過失の有無について判断する。

(1)  入院後直ちに抗生物質の髄腔内投与をすべきであつたか否かについて

右認定の各事実によれば、昭和四七年当時において、緑膿菌性髄膜炎に対しては、ポリミキシンB、コリスチン等の髄腔内投与が著明な効果をもたらすことが知られていたものの、その副作用の危険性から必ずしも常用されている治療方法とはいえず、個々の症例ごとに治療の必要性と副作用の危険性とを比較して施用されていたものということができる。してみれば、被告が信幸の入院後直ちに抗生物資ママの髄腔内投与を施用することなく、まず髄液検査をし、抗生物質を全身投与して経過を観察したことに注意義務違反はないといわなければならない。

(2) 全身投与により効果がないと判明した時点までに抗生物質の髄腔内投与をすべきであつたか否かについて

(ア) 被告は、まずこの点について昭和四七年一一月二一日以降数回にわたり髄腔内投与を試みた旨を主張する。

しかしながら、前掲甲第七号証(病歴書)によれば、一一月二一日腰椎穿刺不能、同月二五日腰椎穿刺入らず、同月二六日腰椎穿刺失敗の各記載があることが認められ、前掲〈書証〉にも同旨の記載があることが認められる。そして、腰椎穿刺とは、通常髄液を検査するため、第三―四腰椎棘の間を針で穿刺して髄液を採取することを意味し、治療用薬剤を注入することはその応用であつて腰椎穿刺そのものとは異なること、前掲甲第七号証には薬品名等の記載が全くなされず単に「腰椎穿刺」とのみ記載されていること、また、前掲甲第七号証によれば、一一月二一日の腰椎穿刺は同日の三神教授の来診時の指示に基つくものであつて、その際の指示は髄液を細菌へも出すべく検査を示唆したものと解されることからすれば、前記の各腰椎穿刺は抗生剤の髄腔内投与のためになされたものではなく、髄液検査のためこれを採取するためのものであつたと解さざるを得ず、他に抗生物質の髄腔内投与を試みたことを認めるに足りる証拠はない。

(イ)  また、被告が信幸に対し、ゲンタマイシン、コリスチン、カルベニシリン等緑膿菌に有効な抗生物質を全身投与したが効果がみられなかつたことは、前記認定のとおりである。そこで、このような場合、前記3(二)(1)のとおり、抗生物質の髄腔内投与には副作用が認められるとしても、これによる治療の効果に大なるものが期待できるのであるから該治療に当たる被告には、ポリミキシンB又はコリスチン等を信幸の髄腔内に注入して同人を治療すべき注意義務があつたと解するのが相当である。ところが前記認定のとおり、被告において抗生物質の髄腔内投与をしなかつた以上この点において被告に本件診療契約上の注意義務に違反する過失があつたというべきである。

四損害額

1  病院関係費用

(一)  治療費として一八万一四九〇円を支出したことが認められ〈る。〉

(二)  付添看護料として七万五〇〇〇円を支出したことが認められる。

2  信幸の逸失利益

信幸の死亡時の逸失利益現価額を算定すると、合計二四〇三万〇九〇〇円となる。

3  信幸の慰謝料

信幸の慰謝料としては六〇〇万円をもつて相当と認める。

4  原告らの相続〈略〉

5  葬儀関係費用

三五万円が信幸の死亡と相当因果関係に立つ損害であると認めるのが相当である。

6  損害の填補〈略〉

7  弁護士費用

被告において賠償すべき弁護士費用は、原告両名につき各六〇万円とするのが相当である〈以下、省略〉

(薦田茂正 中野哲弘 髙部眞規子)

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